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背景画 [歴史]

かって、芸能を楽しむ会というのがあって舞台の背景の絵を依頼された。
場所は大阪ミナミの大劇(現ホテル・ダ・オーレ)東、相合橋筋にあった。
その2階座敷が寄席になっていていろんな芸人が出演していた。
能、狂言や寄席の背景は松の絵が多いがこちらは一歩下がって梅にした。
アクリル絵の具やペンキなどを使って数時間かけて描き上げた。
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琳派には遠く及ばないが、滅多に描かないもので珍しいので紹介する。
梅には鴬だがここに描くのは当たり前で面白くないので落語「抜け雀」に倣って
廊下に一羽飛ばして洒落にしてみた。
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まもなく、ここは閉鎖したがあの絵はどこに行ったのだろう。
会の名を冠した会報も出ていたからお持ちの方もあるだろう。

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カラオケ [歴史]

 レアなカラオケの原点器2台が出てきました。
 1978年(昭和53年)ナショナル創業60周年記念品、もう一台は、1973年の3ウェイ器で、長年我が家に眠っていました。
 この珍品は、見開きの左ページには歌詞が、右にページにはソノラマシートがくっついていて、その上へ底にの針がついた円筒形のスピーカを乗せスイッチを入れると針が開展してメロデイーが出てきて、差し込んだマイクで歌えるという器械です。
 歌詞ブックは二冊あり一冊は「船頭小唄」などの古いもの、あとのは「UFO]など当時の新曲が入っています。
 共に東大阪にある六万寺往生院民具供養館に預かってもらいました。
 館長、川口哲秀さん、泰弘さん父子も珍品だと喜んでくれました。
 この館には古い蓄音機もいろいろあり歴史の中の2台になるようです。
 民具館では民具の使い方などを小学生に教えています。是非出かけて下さい。
 詳細は往生院民具館のホームページで。
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 [歴史]

季刊誌「大阪春秋」に私が描いて来た多くをジャンル別にして、その背景や思考などとともに掲載している。
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 聞き手は第1回目から橋爪節也さん(大阪大学教授)と古川武志さん(大阪市史料調査会調査員)で今夏号は17回目でテーマは「報道画」。
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 大相撲、天神祭、阪神タイガース、上方落語という私の作品の四本柱となる記録絵(自称・ドキュメンタリー スケッチ)にまつわる話だ。
 報道写真があるなら報道画もあっていい、かって新聞記者は文につける挿絵も描いていた。
など、興味ある話がいっぱいだ。
 次の秋号は、祈りの絵、仏画、奉納画だ。
 おおさかで半世紀以上その風俗を描いて来た私のすべてがわかってもらえる他に類を見ない
貴重なシリーズだと思っている。
既載のテーマは、大阪の味、スミカズの絵、美人画、あぶな絵など
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 [歴史]

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終戦から71年、今年も8月15日がやって来た。
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この日は、学童疎開兒だった私の人生にとっての分水嶺だ。
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たる出版刊、記録画77点と永久保存資料記録、
それまでの教育、文化、習慣などすべてが180度の変換を余儀なくされた。
戦前、戦中、戦後と言う3つのチャンネルを持っている私たち世代は、戸惑いはあっても時に応じて
その内蔵したものを利用し、時には武器にしながら多元的に生きて来た。
人間が求める幸せや平和と言うようなものを得たとき、マナーや思いやりなど消し飛んでこんなに金がすべてという利己的な世の中になるなんて想像もしなかった。
 先ほど描いた3つの時代の物差しで今の時代を計ってみるとき、もうこれも陳腐なものになって間尺に合わずどんな単位を使えば良いか大変悩ましい。
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青雲の志を抱いて [歴史]

19歳の頃、人生どうなるか不明でした
ただ漫画家になりたいが夢でした 19才自画像.jpg
手作り本など仕上げていました漫画19歳.jpg
21歳で方向転換フアッションイラストに。上野の展覧会に入選したこともありましたよ上野入選.jpg
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似顔絵 [歴史]

日本のまんが似顔絵で一番古いのは法隆寺の天井裏の板に書かれた工人の落書きだと読んだことがある。
きょう8月13日の新聞は、当麻寺が所蔵する国宝・当麻曼荼羅厨子(8世紀末〜9世紀初め)を’57〜’60年に解体修理した時に柱の下の板に墨の落書きがあったと報じている。
 似顔絵も描くわたしは、判りにくいが目を凝らして真似てみた。
 烏帽子のようなものをかぶった下の人物の鼻は大きくワシ鼻だ。唇は分厚く、目は大きい。
 似顔絵は特徴を誇張して描くが、そこまでの戯れ絵ではない。
 あんがい外国人かもしれないと思うが奈良時代ではなく平安時代だからね。
 それにしても達者な腕前だ。耳の下のあごの線もそうだが、上の絵の結んだ口の立体感、ほほから下に消えてまたあごにかけて出てくる線は、土佐の絵金の絵を見たときもその鋭さを感じたがこの絵の作者もしっかり描ける人ではなかったか。落書きというには筆に遊びがないとおもった。当麻寺.jpg
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手塚先生 [歴史]

世界的な漫画家手塚治虫先生の原点を観てきました
中学生になってわたしは「新宝島」という手塚先生が初めて出された本と出会って虜になって漫画家になることを夢見て先生の絵を盛んに模写しました。
きょうは「ウイズたからづか」という雑誌の依頼で兵庫県宝塚市にある千吉稲荷に行ってきました。
 この稲荷のほこらがある山は手塚少年が昆虫採集をしたところで治虫というペンネームの由来にもなったオサムシもいたところです。千吉稲荷世話人会の大垣文男さんにも会って昔の話を聞きました。
この世話人会の皆さんで手塚先生の偉業をたたえ生誕80年を期してご覧の記念碑を今年の春建てました。これは地元の人々の心のあらわれです。さわやかな風の中、うぐいすの初音をきき首を出したタケノコを見ながら手塚先生をしのびました。JR宝塚駅から10分くらいのところに此れだけ自然が残っているのは驚きでした。地元の方々の努力が手塚作品の原点を大切に守っておられることに頭が下がりました。近くにかって手塚邸があった場所にも行ってきました。家は建て変わっているそうですが大楠は昔のままでそうです。森.jpg記念碑.jpg手塚宅.jpg
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昨日今日 [歴史]

皆さんはかって「渡辺橋」がいまの天満橋あたりにあったのをご存知か
かってちゅうても南北朝時代のことやからわても見たことはおまへんけど聞いたことはおま。
その証拠がこの石碑だ
小楠公ちゅうてもわからん人が多い時代になりましたけど
 青葉シゲちゃん昨日は
  いろいろお世話になりました
ちゅう桜井の別れの替え歌を知ってる人はこの話についてきてください
さてその頃ここで戦がおましたんや
 敵方が負け戦でこの渡辺橋から川に飛び込んだ、それを小楠公こと楠木正行が助け上げ、衣装も替えたって国へ返したちゅう美談の碑だす。
 いまは八軒家でもわかりマッけど渡辺の津はどうだっしゃろか。小楠公.jpg
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アルミの物差し [歴史]

昭和22年頃、こんな20㎝差しを使ってました
アルミ製でうらに6年4組とあります残すともなく残ってきたものですが、戦後すぐのこの時期竹製のものも無かってんですね。プラスチックなんてとてもとても,ナイロンがでたのは24年頃ではなかったかな。寒くなるとばしばしに固くなり折れましたナイロンのベルトを思い出します。F1000071.jpg
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元気猫 [歴史]

恒例の「大阪瀬戸もの祭」ご今年も7月21日(火)から3日間、大阪本町の火防(ひぶせ)陶器神社(坐摩神社内)であります。この祭りは、西横堀川西岸に200軒も軒をならべていたせともの問屋が300余年も守ってきたもので浪花の風物詩でした。平成12年、せともの町での祭りは一旦途絶えましたが2年後、茶碗供養などでなにわの景気回復を祈願して「大阪府陶磁器商業協同組合がそのにぎわいを復活させました。今年4月3日、これが「大阪市無形民俗文化財」の指定を受けました。
今年は「元気な大阪復活」のため、わたしも一肌脱ぎましてマスコット「なにわの元気猫」のデザインをいたしました。
 ご覧ください、やる気満々でしょう。15センチほどのものですがなんとか元気をつけていただきたいと祈念して作り出しました。
 祭りに並ぶと思いますのでほかのイベントとともに楽しんでください。
 当日、組合が販売します。猫のコピー.jpg猫器コピ^.jpg
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